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『JAPANESE GIRL』(ジャパニーズ ガール)は、矢野顕子の1枚目のアルバム。1976年7月25日発売。発売元は日本フォノグラム。LPは1998年に徳間ジャパンから再発売。CDは1988, 1994, 2002の各年に徳間ジャパンから、2011年にミディから発売。 ==概要== 矢野顕子の個人名義でのデビュー作となるアルバム。A面(第1曲-第5曲、AMERICAN SIDEと名付けられている)には、バックバンドにリトル・フィートのメンバーが参加している。B面(第6曲-第10曲、JAPANESE SIDEと名付けられている)には、細野晴臣・林立夫といったティン・パン・アレーのメンバー(第6曲)、あがた森魚・かしぶち哲郎・鈴木慶一・鈴木博文・駒沢裕城など、はちみつぱい・ムーンライダーズ系の演奏者(第9曲)といった、日本国内のアーティストが参加している。 プロデュースは「小東洋」名義で、矢野誠が務めている。実務面のエグゼクティブ・プロデュースは三浦光紀。ミックスは、2000年代に入っても矢野の音楽の録音を行うことになる、吉野金次が担当している。 本アルバムの特徴のひとつに、矢野のが幼少時代を過ごした青森の民謡をカバーしているほか、和楽器を積極的に使用するなど、日本の伝統音楽とロックのクロスオーバーが図られている点がある。タイトルはあがた森魚のアルバム『日本少年』(1976年)に由来し、本作はあがたの作品へのアンサーアルバムにあたる。 本アルバムのA面の録音の際の逸話として、リトル・フィートのリーダー、ローウェル・ジョージが、矢野の才能に驚嘆し、「僕たちの力不足でした。ギャラはいりません。」と語ったとされる〔矢野顕子『えがおのつくりかた』, オレンジページ, 2006年, p.59.〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「JAPANESE GIRL (矢野顕子のアルバム)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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